2012年11月7日水曜日

天下分け目の地 関ヶ原を歩いてきた

11月3日(土)


6時39分家付近

本日丸1日暇なので
夜中2時まで何処に行くか悩み
悩んだ末伊吹山登山か関ヶ原

行く方向一緒やし電車の中で決めます

不思議やね3時過ぎに寝て目覚ましなしで起きれるもんな
平日やったら絶対無理

バス停向かいます



10時28分

伊吹山登山はやめて
関ヶ原きました

トホホ 岐阜県もできてもうてるやん
 
小旅行やん
 
 
 


駅前にある案内所で
 
史跡の地図無料で貰います
 
 
おやっさんにもちょこっと話聞いて
 
 
出発しま~~す
 
 



まずは 東首塚方面へ

やっぱりこの辺ちょっぴり冷やっこい
 
 
 
 
 
 
 



10時45分
 
①松平忠吉・井伊直政 陣跡
 
東軍先鋒は福島隊と決まっていたが、福島隊の制止を振り切って宇喜多隊に発砲したのが松平・井伊隊。その後、島津隊を追撃して大きなけ戦果を挙げるが2人とも大きなケガを負ってしまう。
 
次向かうは東首塚
 

10時48分
 
②東首塚


朱色の門を抜けると、奥にスダジイの大木がそびえ立つ。合戦後、戦死した兵士たちを、東首塚と西首塚、2か所に埋葬したと言われる。埋められてる戦死者の数は定かではない。
 
 




首洗いの井戸


写真撮るのも怖い(泣)
 

さっさと立ち去ります
 
 
 
 
10時57分

③田中吉政 陣跡

ここから笹尾山の石田隊に向かって兵を進めた、田中吉政の隊が布陣した場所。吉政は、石田隊の右翼・蒲生郷舎と戦った説もある。最後、敗走した石田三成を捕えたのも吉政である。

この辺一杯かたまってる
田中吉政 陣跡のすぐ横

10時57分
 
④徳川家康 最後陣跡

桃配山から動いた家康が、最後に陣を置いた場所。ここから松尾山の小早川秀秋に向けて発砲を命じたと言われている。
 

11時01分
 
⑤床几場

合戦後には床几場で引見が行われ、武士達が討ち取った敵の首級が実検された。

そんな方法しかなかってんやろな
 
 
 

 
次 丸山烽火場 向かいます
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



マジか(恐)
 
 
歩いてるん俺だけやん
 
 
 
 
 
 
 

11時21分


⑥岡山(丸山)烽火場 黒田長政、竹中重門 陣跡

戦況を把握しやすい高台に陣を置いた、黒田長政と竹中重門。戦機を見てここから烽火を上げた。竹中は、合戦当時の関ヶ原の領主にあたる。
 
 



黒田長政、竹中重門 陣跡から
 
ほんまや関ヶ原一望できてる
丸見えや
 
 
 
 
 
 


少しトレイル歩いて

笹尾山向かいます













ちょー頼むわぁ~(怒)

出てるやん熊

さっき丸山で女の子1人だけ出会っただけで

誰もおらんし嫌やわぁ


コンビニあったやん
良かった~

昼飯調達せんときたから
ここで調達します

もちろんビールも フフフ



コンビニ過ぎれば
見放しのええ所出てきた

なんか旗たってる

うん?なんやろ?


11時48分

⑦決戦地

小早川秀秋の寝返りにより東軍優勢となり、西軍の敗北が見えた関ヶ原合戦。三成の首を狙う東軍詰隊が笹尾山を目がけて突進したことにより、ここで激戦が繰り広げられたと言われてます。

なんかわかるような場所やった
 



前方に笹尾山出てきました

決戦地からめっちゃ近い


11時55分

⑧島左近 陣跡

笹尾山三成本陣跡の東側登り口の右手前にある。
島左近は石田三成の部下で、関ヶ原合戦でも三成陣にいて兵士の指揮をとっていたと伝わっています。

11時57分

⑨蒲生郷舎 陣跡

笹尾山三成本陣跡の西側登り口の左手前にある。郷舎の布陣した位置は諸説あり、竹矢来の外側右翼に布陣したとも内側に陣したとも言う。彼は戦闘中に織田有楽からの降伏勧告に怒って逆に斬りつけ、そのまま有楽の従者に囲まれて討ち取られたというが、これは蒲生備中頼郷と混同したものと思われる。
 



やっぱり出てきたかこんなん

この辺三成の所は人ぎょーさんいてます
人気あんねんな


みっつんに用事あるから
通して下さい






この隙間から見れば

家康最初か最後の陣跡が見えるねんて

このおばちゃん言うてた

盗み聞きしたった ははは
 
 
 




笹尾山てっぺん近し



 
 
 
 

三成陣跡手前

チェッまた現れた

たわけぇ~~

みっつんに大事な事伝えにきてんぞぉ~
 
どけぇ~~
 
 
 

12時04分

⑩笹尾山 石田三成 陣跡

関ヶ原を一望できる笹尾山に本陣を置いた石田三成は、5分ほどで登れる展望台からは、三成が見たであろう景色が望むことができる。
麓には竹矢来、馬防柵が復元されてる。
 
みっつぅ~ん
小早川は寝返り、毛利は動かずやぞぉ~
 


展望台から

ほんまやここも一望できる

決戦地も丸見え
 
 
 
 
 
 


みっつぅんに伝え事したし
次島津向かいます


看板助かります
 
 
 
 
 
 
 

12時18分

⑪島津義弘 陣跡
 
神明神社の裏側に、得意の鉄砲で次々と敵を狙撃した島津義弘隊の陣跡。小早川の寝返りで戦況が一変すると、島津隊は東軍の中央を敵中突破し、見事伊勢街道への脱出に成功する。
 
根性あるやん しゃーないわな






次 小西行長 陣跡向かいます
 
 
 
 
 
 

12時25分
 
⑫開戦地
 
西暦1600年慶長5年9月25日
決戦の朝、霧が薄くなった8時頃、松平、井伊隊が動く。先鋒の福島の脇を通り抜けて発砲。これに怒った福島正則が、宇喜多隊に対して一斉射撃をしかけたのがこの場所だと言われてます。
 
決戦地と違って こじんまりした場所やったなぁ
 





先 小西 陣跡向かいます





 

12時27分

⑬北天満山 小西行長 陣跡

合戦開始とともに北天満山から烽火を上げ味方に開戦の合図をした小西隊。午後になり、大谷隊が敗れたとの知らせを受け、山を越えて揖斐方面に敗走。
 
大変や
 


次は宇喜多秀家陣跡

トレイル入って行きます
 
 
 
 
 
 
 
 
 

12時41分

⑭南天満山 宇喜多秀家 陣跡
 
うっそうとした天満神社の境内に、1万7千という西軍の主力部隊の副総帥として参戦した宇喜多秀家の陣跡がある。開戦直後に攻め込まれ、激しい戦いとなった場所だと言われる。
 
こんな場所に1万7千もおったとは思われへん凄い





次は大谷吉継の墓


 
 
 
 




途中 こんなトンボおった
こんなん見たことない
 
阪神カラーで渋い!!
 
 
 
 
 
 




山の中です

熊怖い
 
 
 
 
 
 
 

13時02分

⑮大谷吉継の墓

大谷吉継の首を埋め隠した湯浅五助。それを藤堂仁右衛門に発見され、自らの首とひきかえに他言を阻止し、供養を託した。敵ながらも感心した藤堂が、合戦後に墓を建てたと言われる。隣には五助の墓が立つ
 
シビレルなぁ五助
 


まだまだ行くよう

次は大谷吉継 陣跡
 
このへん走ったら気持ちええやろな
 
 
 
 
 
 

13時08分

⑯大谷吉継 陣跡
 
三成の盟友・大谷吉継は、病身を押して参戦。三成への”義”を貫いた。予想していた小早川隊の寝返りにも動じず応戦するが、配下の脇坂隊らの攻撃により軍は混乱。あえて自害した
 
すばらしい”義です
 



山下ってきて
 
東海道本線?多分
 
 
 
 
 
 
 
 





新幹線です
 
 
 
 
 
 
 
 




あの名神高速くぐるれば








13時29分

⑰脇坂安治 陣跡

脇坂安治は、朽木隊・小早川・赤座隊と共に、西軍として松尾山の麓に陣を取った。松尾山の小早川隊が寝返ると、4隊ともそれに反応し、大谷隊へ攻撃。東軍の勝利に貢献した。
 
寝返るやつは嫌い
ほんでここめっちゃ狭い



もちらん行きますよ~
 
松尾山山頂
 
 
コバやんとこに~
 
 
 
 
 



当時はもっと道も狭かったやろな
馬とか突進してきたら怖いな
 
今は熊が心配や
 
 
 
 

14時01分
 
⑱小早川秀秋 陣跡

1万5千もの大軍を待機させいた小早川秀秋は、当時若干19歳。家康から鉄砲を撃ち込まれ、ついに西軍を裏切り、東軍を勝利に導く。
 
ビビったんかコバやん
裏切りはあかんぞ!!
 

古戦場を一望できます

ふっふ~んあの辺りから
撃ち込まれたんか
 
 
 
 
14時07分

遅めの昼食です

古戦場を見ながらの昼食
なんか考えさせられます

風キツかって寒いし
何度も言うけど熊心配や

塩ラーメン、おにぎり、ビール
最高でした
 
 



熊怖いからとっと下山して
次向かう途中松尾山パシャ


 
 
福島正則陣跡向かっててんけど
道間違えました
 
15時15分
 
⑲藤堂高虎・京極高知 陣跡
 
両隊は福島隊に続いて東軍左翼縦隊の第2陣として進軍。開戦後は不破関跡付近まで進撃し、平塚為広と交戦した。

中学校の中に陣跡あります雰囲気あれへん(泣)
 


やっと次福島陣跡向かいます
 
 
 
 
 
 
 
 

15時23分

⑳福島正則 陣跡
 
福島正則は、三成に対立して東軍へ加担。開戦すぐ宇喜多隊を突く。現在碑が建つ春日神社境内には、合戦図屏風にも描かれた樹齢800年の【月見の宮大杉】がどっしりとそびえ立っている。
 

15時29分
 
21西首塚

当時の領主・竹中重門が、家康の命令により兵士たちを埋葬した地。
 
怖いから入らずパシャ
 



最後の本多忠勝向かいます
 
 
 
 
 
 
 




えっ 人の敷地入って行くんかいな




15時41分
 
22本多忠勝 陣跡
 
三方ヶ原、長篠の合戦で数々の功を上げた本多忠勝。勇猛なだけではなく、知略も備えた名将。関ヶ原合戦では軍監として参戦。島津隊へ進撃、両軍武将の切り崩しにも努めた
 


15時48分

関ヶ原駅着~
あ~おもろかった
約400年前ここらで大戦があった思ったらシビレます

歩行距離17K
 
 
 
小早川陣跡から見た図
 

 
 
コース図
 
 
高低差
 
 
 
 
本日
歩き  17K
 
おわり



4 件のコメント:

ryuji1962 さんのコメント...

お~~~~~
歴史の勉強ですか?
よう歩きましたね

私たちの第1回名古屋マラソンは
名古屋戦国侍! 弔いマラソン
ってネーミングでした
(関ヶ原を通るからです)

こんなに見どころあったんですね
通過しただけ(真っ暗)だったので
な~にも見なかったです

関ヶ原ウォーランドってありますよね
不気味な蝋人形がありますよ

お疲れ様でした
熊に襲われなくてよかったです

とおたん さんのコメント...

ryujiさ~ん

いつもコメント有難う御座います

勉強ってそんなかっこええもん違います(笑)
歩きたい口実です

弔いマラソン知ってます
凄いなって記事読んでた記憶あります


不気味な蝋人形がははは...見にいかんで良かったです

皆さん車で見学しますので
歩きの人がいてなくて熊ほんま怖かったです(泣)

T さんのコメント...

関ヶ原になんの用事かとおもっていましたが、なかなか勉強家ですね。知的欲求と身体的欲求の両方満たして充実感ありありです。

とおたん さんのコメント...

Tさ~ん

いつもコメント有難う御座います

いやいや勉強なんかしていませんよ
ただ長い時間体動かしたかっただけです(泣)

でも楽しかったので御の字でした(笑)